Windows11アップグレード ~地獄と再生の3日間~

Windows10のサポート終了が迫っているため、不本意ながらスペックに余裕のあるマシンをWindows11へアップグレードすることにした。
そこでmmc.exeのブロックやWindowsUpdate不能の問題に遭遇してしまうことになる…
自分自身の記録として、そして同じ思いに苦しむかもしれない何者かのためとして、今回遭遇した、アップグレード失敗からその克服に至る苦悩の過程を、ここに記したいと思う。
※めちゃくちゃ長い記事ですが、1ページで完結します。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
1日目 - 地獄の始まり
準備段階 - 内蔵SSDの換装
- 内蔵SSDが128GBだったため、500GBのSSDに交換してからアップグレードすることにした。
500GBのSSDはWestern Digital製だったため、Western DigitalのOEM版TrueImageが使用できるらしい。
これでクローンを試みることにした。
↓ - 500GBのSSDをUSB接続できるケースに入れて、TrueImageを起動したところ、WD製のストレージが接続されていないと表示され、アクティベーションできず、結局TrueImageの使用を断念。
↓ - 過去にWin10環境を構築した際にMacrium ReflectのブートUSBを作成していたことを思い出し、それを使用することにした。
↓ - Macrium Reflectでブートし、クローンを進めると50%程度の進捗で以下のエラーが発生。
----------------------------
error9
cyclic redundancy check
----------------------------
↓ - 情報を調べてみると、不良セクタなどに関連するエラーらしかったので、クローン元のSSDにCHKDSKコマンドなどをかけて修復を試みる。
(プロセスはうまく済んだが、そもそも破損していたかも不明)
↓
再度Macrium Reflectでブートし、クローンを試みるが、似たような個所でエラーが発生。
数回試してみたが、ダメだったため色々情報を探す。
↓ - すると、イメージバックアップであればエラーが出ずにディスク丸ごとコピーできる。
という情報を見たため、それに一縷の望みをを託し実行。
ステータス50%付近に来たところで神頼みを行いながらプログレスバーの動きを見る。
※デジタル系の問題も最終的には神頼みになってしまう気がしている(笑)
↓
10分程度経過。
無事に50%付近を通過し、イメージバックアップが問題なく完了した。
↓
次に、作成したイメージを換装先の500GBにリストアする。
ただ、そのままリストアするとOSパーティションの空き容量が増えないため、以下の方法をもとにOSパーティションのサイズをリサイズしてからリストア開始。
(この、ドラッグアンドドロップで各パーティションを配置する、という操作は発想に無く、解説を見るまで小一時間悩んでいた)
↓ - その後、無事リストアはできた。
次に、古いSSDを外して、500GBのSSDをPCに装着する。
(その際、SSDにはサーマルパッドとヒートシンクもあらかじめ装着しておいた)
↓ - SSD装着後、再び神頼みしながらPCを起動。
無事にイメージバックアップ元と同じWindows10環境そのままでブートできた。
↓ - SSDの温度の変化:
------------------------------------------------------------
・換装前 128GBのSSD → ベンチマーク時に70度強
・換装後 500GBのSSD → ベンチマーク時に50度弱
------------------------------------------------------------
となり、動作温度的にも良好な結果になった。
128GBのSSDはNVMe Gen3 だったのに対し、500GBのSSDはNVMe Gen4。
NVMeは下位互換があるらしく、現状はGen4をGen3の速度で動かしている、という事になる。そのため、チップ的にかなり余裕が生まれ、温度も低いのだと思われる。
↓ - これでハードルの一つだった、SSDの換装はクリアできたことになる。
なお、ここで取得してたバックアップイメージは、この後の試行錯誤の上で救世主の一人となるのだった…
Windows11へのアップグレード - 地獄への入り口
- Windows Updateで手軽にアップグレードできるかなと思ったら、どうやってもアップデータが降ってこないため、Windows11 InstallationAssistantを使用することにした。
(Windows11アップグレード関連のボタンがWindows Update画面に少しも表示されず、どうしようもなかった…)
↓ - Windows10 19045.5965 からWindows11 InstallationAssistantにて、環境を引き継いだ状態でアップグレード。
↓ - 無事ブートし、デスクトップを表示できた。
バージョンは24H2になっていた。
(気を抜いていたため、ビルドはちゃんとメモしていない…)
これでアップグレードは一見うまく行ったように見えるが…
↓ - フォルダを開いたりスタートメニューを操作する際、動作がどうももっさりしているのが気になった。
そこでサービスなどを確認しようとしたところ、「mmc.exe」がブロックされ開けない。
ダイアログはこんな感じ:
これが泥沼の始まりになるのだった…
↓ - mmc.exeはどうやらUACにブロックされているらしく、レジストリで無理やりUACを停止させたり、セーフモードで実行すればブロックされずに使用できた。
↓ - この状況はどうもおかしいため、Windows Updateをかけて自動修復される可能性に期待。
すると、インストール中にエラー 0x800706be が発生し、何度やっても再試行することしかできなくなる。
※これは後で判明する、24H2 ビルド 26100.2033 の影響だった可能性がある…
↓ - エラー番号から、システム破損が影響している可能性、という情報を発見し、
sfc、dism、chkdskコマンドでシステム修復を試みる。
すると、sfcで毎回エラーが発生し、何度やっても修復されない。
※これも24H2関連の不具合だったと後で判明…
↓ - どうしようもないので、修復用として、以下のWindows11ダウンロードページからインストールメディア作成ツールを入手し、ブートUSBを作成。
↓ - ブートUSBから起動し、sfcを再度実行。
やはり破損は解消されない。
↓ - その後、何度やっても、何をやっても問題は解消せず、時間も朝4:00くらいになっていたため精神力もなくなっていた。
そこで、後日ブートUSBを使用して、もう一度Win10のバックアップイメージからWin11へのアップデートを試みることにした。
これで1日目は終わる…
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
2日目 - 沼の底へ
再挑戦・ブートUSB
- 今日こそは1日目の苦悩を挽回したい、という思いを込め2日目が始まる。
再度Macrium Reflectでブートし、1日目に取得していたWin10のバックアップイメージをPCに換装済みの500GBのSSDへリストアする。
これは1日目でこなしていた分スムーズに済んだ。
クローンだと、再度クローニングを行うために元のSSDへの再換装が必要だった可能性があっため、バックアップイメージとして環境を取っておいて本当に良かった。
1日目の自分に感謝(笑)
↓ - 再度Win10で起動できることを確認し、1日目に作成してあったWin11のブートUSBからアップグレードを試みる。
↓ - アップグレード処理自体は無事完了し、ブートも問題なくできた。
その後、かすかな希望を持ってmmc.exeを起動してみたところ、また1日目と同じようにUACでブロックされてしまった……
これは辛い。
同じように、Windows Updateを実行してみると、これもまたインストール中にエラー 0x800706be が発生という1日目と同じ状態…
絶望…
この状況は想像していたが、やはりその通りになってしまったのだった…
ブートメディアの悲しい事実
- ただ絶望していてもしょうがないため、気を取り直して状況を確認。
まず、OSのビルドを確認してみると、
-------------------------
24H2 ビルド 26100.2033
-------------------------
となっているようだった。
これ元に情報をたどってみると、1日目の解説にも記載した、ビルド 26100.2033のブートメディアの不具合が出てきた。
↓ - これまで、私はこの罠にかかっていたという事になる…
であれば、ほかのビルドでアップグレードすれば問題回避できるのではないか。
そこで、Win11のISOイメージのダウンロードを試みたが、なぜかMSのサイトからブロックされてダウンロードできなかった。
別の方法として、mediacreationtool.exeを使用し、ISO版として出力してみた。
するとビルドは、26100.2033だった…
絶望… 落胆…
やはり、世の中に甘い話など無いのだ…
※ビルド情報の確認は以下の解説をもとに実施
絶望の淵・かすかな希望
- ISOイメージを再度使用しても、これまでの間違いを繰り返すだけになるため、Windows Updateから強制的にアップデータを降らせる方法を探す。
しかし、有効な方法は見つからなかった。
↓ - 絶望しつつ、ネット上の情報と、自分の手持ち環境を再確認し、そこで一つの可能性を導き出す。
確か、Windows11が出た当初、ISOイメージを作成していた。
ただ、これはだいぶ古く、アップグレードがうまく行くのかすらわからない。
かなりの賭けになる… と思い、その場では踏みとどまった。
その不安感の中、時間はまた朝4:00ごろになっていたため、決断は次の日に回すことにし、作業は切り上げた。
日が長くなって来た季節、窓の外からは差し込む光と爽やかな鳥の声、この時の私にはそれすらくぐもっていた…
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
3日目 - 希望そして再生
賭け
- これまでの2日の絶望の中、旧Win11のISOイメージを使用してアップグレードするか未だ迷っていた。
WindowsUpdate強制適用の情報は未だ見つからず、別ビルドの入手も安全と思われる方法が見つからなかった。
となると、あとは手持ちの旧Win11のISOイメージしか残された道は無くなってしまった…
※mediacreationtool.exeで作成できるメディアはなぜか問題ビルド 26100.2033のまま数か月放置されている模様(2025/6現在)
以下のMSのフォーラムでも言及されている:
https://answers.microsoft.com/en-us/windows/forum/all/why-windows-11-24h2-media-creation-tool-still/276e8b3e-10d3-4672-aeb2-25920852930f
↓ - かすかな希望を託して、再度Win10環境をバックアップしていたイメージからリストア。
これはもう3度目になるため、慣れたものといった状況だった。
※このバックアップイメージは本当に頼れる奴だ。本当に取っておいてよかった。
その後、Win10で旧Win11のISOイメージをマウントし、セットアップを実行。
↓ - そのウィザードでは、更新をダウンロードして適用するかどうかの選択があり、一応更新を適用して実行することにした。
(また問題ビルドになってしまわないか不安でもあったが…)
↓ - 1日目のInstallationAssistantを使用した際よりもかなり時間がかかったが、アップグレードは完了した。
兆し
- ブートしてみると、Windows11 21H2にアップグレード完了していた。
mmc.exeを起動してみると、ブロックされずに起動できる。
エクスプローラーなどの動きも心なしか、これまでのアップグレードより好調な様子。
これはもしかするとうまく行くかもしれない、という兆しを感じ始める。
↓ - Windows Updateを試すと、アップデートリストに表示された分はエラーなしで無事適用できた。
再起動を数回行い、すべてを適用する。
再度襲い来る無慈悲
- ここでまた問題が発生した。
Windows Updateに21H2以降のアップデータが降ってこないのだ…
これはまた泥沼になりそうな予感がする…
強制的にアップデータを降らせる方法はこれまで探して、失敗に終わっている。
また頭を悩ませる状況…
もう少しでクリアできそうなのに…
無慈悲…!
↓ - そんな中、気を取り直してネット上で再度情報を調べていると、InstallationAssistantを使用してアップデートすればいい、という情報を発見した。
ただ、1日目に失敗している分、再度同じ轍を踏むのではないかと躊躇する。
しかし、他にある選択肢は例のビルド 26100.2033のブートメディアしかない。
※該当ビルドはWindows Updateが適用できなくなる不具合を持っている
↓ - となると、リスクを覚悟してでもInstallationAssistantに賭けるしか選択肢がない。
でなければ、クリーンインストールする羽目になる。
Win10を数年かけてようやくまともな状態に設定できたことを考えると、もう一度あれを繰り返すのは御免だ…
それよりはリスクを取ってでも可能性に賭ける。
賭け、再び
- 不安の中、InstallationAssistantを実行し、現データを引き継ぐ設定でインストールを実行。
しばらくしたあと、インストールは完了した。
↓ - 再起動後、1日目のアップグレード時に見たのと同じ「ようこそ」の表示などが出て、メジャーアップデートができたことを感じさせる。
同時に不安もある。1日目と全く同じ状況だからだ。
ただ違うのは、Win10からWin11 24H2に直接アップグレードしたのではなく、一度Win11 21H2を経由していること。
インストールされているOSのビルドは24H2 26100.1742となっている。
やはり、これまでとは違う気がする。
解放・差し込む光
- ここで最後の望みをかけて、mmc.exeを実行した…
↓ - 少し読み込みが入り…
ブロックなしで起動できた…!
心の中に、一気に光が差し始める。
これは行けるかもしれない。
↓ - その後Windows Updateも実行。
現時点で最新のkbを適用できた。
↓ - 再起動し一通りいじってみたが、特に問題は発生しない。
ゲームのように劇的なファンファーレは無いが、これで問題をクリアできた…!
達成感と同時に、心の中の世界が再び光を取り戻すのを感じる。
ちっぽけな一歩だが、また一つ問題を克服できた。
時間は朝4:00前、まだ空も薄暗かったが、心地よく、充実した気持ちで最後の1日は終わった。
世界に幸あれ(笑)
Fin.
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
まとめ
Win10からWin11へのアップグレードでmmc.exeやWindowsUpdateの問題が出た場合効果があった方法、なかった方法
------------------------
◆効果があった方法
- Win11の旧バージョン(21H2など)のISOイメージを使用し、一度旧バージョンにアップグレードしてから、InstallationAssistantで最新版にアップデート
- 元のWin10環境のイメージバックアップ(直接的解決方法ではないが、トライアンドエラーの際に非常に役に立つ)
◆効果がなかった方法
- mediacreationtool.exeで作成したインストールメディアを使用したアップグレード(2025/6時点)
------------------------
今回、Win11の旧バージョンのISOイメージが無かったとすれば、現時点では対処できなかったかもしれない。
その場合は、mediacreationtool.exeで作成できるメディアのビルドが26100.2033以降の問題解消版に切り替わってから試すことになっていたと思う。
はっきりわかることは、この作業、二度とやりたくない…
人生がハードなのは自分でハードモードを選んでいるから

ここ数年、e-taxなどの面倒な処理をしていて思った。
「これ、手動でやってたら悲惨なほど面倒だな」と。
冷静に考えてみると、少なくとも今の日本では、気が利くほどではないにしても、暮らしに関する手続きなんかはだいぶ簡単になってきていると思う。
実際、その恩恵を受けようと思うと初回の導入で頭をよじる必要があるのだけれども、それさえ超えてしまえば、相当楽になる。
身近な対象として自分の親なんかを見ていて感じるのは、まずテクノロジーを禁忌しているようなところもあり、自分の助けになる制度やサービスの最初のハードルに向かおうともしない。
倫理面などで問題がない制度において、大きなメリットを捨ててまで、それを頑なに拒否する原動力とは何なのか、これ自体も興味深いトピックだ。
(原動力というより、逆に行動のために途方もない原動力が必要になる、という事なのかもしれない)
並行して、こういった人たちは自分の無行動を棚に上げて、「社会は助けてくれない」、「技術を使えない人を見捨てている」などと社会や制度への文句を言う傾向にもあると思う。
もちろん今のルールは完ぺきではないし、システムの利便性はもっと上げる必要があるけども、今あるシステムで相当の利便性を享受できるのならば、サービスを受ける側としてそこに歩み寄る姿勢も必要なのではないだろうか。
ゲームの世界で言えば、これまで「ハードモード」しかなかったゲームに、コマンド入力で選択できる「ノーマルモード」が実装されたのが今の状況。
そこで文句を言ってるのは、入力が面倒でそれを使わず、「このゲームは難しすぎる」と嘆き続けているようなもの。
そんなことやってるのは、ただの趣味、しばりプレイみたいな領域にしか見えないし、そんなプレイスタイルの人たちが社会に文句を言うのはお門違いと思う。
「俺はハードコアにやりたいんだ」ってことならそれは黙って好きにやればいい。
ロールプレイングゲームのように生きる

私はそこまでロールプレイングゲームファンというわけではないのですが、ファミコン・スーパーファミコン時代の定番やElder Scrollsシリーズなどの海外作品も楽しんでプレイしてきました。
そんな作品をプレイしていればわかると思いますが、特に序盤などに町の人の困りごとを解決するような簡単なミッションを受けることが多々あり、それをクリアするとちょっとした報酬と住人からの感謝がもらえたりします。
それによってだんだんとゲーム内の社会の雰囲気がポジティブになっていくのも好きな要素です。
そこで最近強く感じるようになってきたのですが、色々なロールプレイングゲームのプレイを重ねるに従って、現実社会の中でも困りごと解決のミッションのような場面に遭遇したとき「ロールプレイングゲームをプレイしている時なら自分はどう行動しているだろう?」とも思うようになってきました。
結果として、ほんの小さなことですが実際に困っている人を手助けしたりすることも増えています。
現実ではゲームの中ほど明確な報酬もなく、達成感も薄いですが、身の回りにちょっとしたポジティブさを生み出せる感じはしています。
これはロールプレイングゲームの効能という感じです。ゲームの中で素晴らしい行動するだけでなく、意外とロールプレイングゲーム的な思考で実社会でも行動するってのも可能なのかもしれません。
そうすれば現実世界ももっとポジティブになるかも…
ただ、これは善人的な行動前提の話です。悪人的な行動はロールプレイングゲームでは受け皿がありますが、実社会での受け皿は皆無でメリットはありません。そこは要注意…😊
人生に暇つぶしという概念は無い
これまでは堅めの表現で書いていたので、練習がてらですます調で試してみたいと思います。
今回は「暇つぶし」や「時間つぶし」という言葉についてですが、これらの言葉は日常的にもよく聞くと思います。
私はこの概念が嫌い、というか今現在それらの概念自体を持っていないと言っても過言ではありません。
今回、この点についてちょっと整理がついてきたので、ここに記します。
つらつらと書き込む前に、結論から書いておくと、「暇つぶし」や「時間つぶし」といった言葉で片付けず、その貴重な自由時間を存分に使おうよ、という事です。
「暇つぶし」、「時間つぶし」の正体?
一般的に「暇つぶし」、「時間つぶし」が必要となるような状況になった時、私の場は無意識にやっていることがあります。それは、その時間がどのような時間か分類する、という事です。
●例えばこんな感じで分類しています。
A. 重要なタスクが少し先に組まれているが、そのタスクまでは時間がある
例: いつもの仕事や、外出の予定など
↓
自分でコントロールできる自由な時間と考えられる
↓
その時間でやりたいことをやる
B. コントロールできないタスクの影響で、行動を拘束された状態
例: 移動時間、何かの待ち時間など
↓
自分で時間をコントロールできず、退屈な時間と考えられる
↓
その時間を楽しんだり、活用したりする方法を考える
こんな風に考えると、「暇な時間」とひとくくりされそうな時間でも、その裏に隠された正体が見えてきます。
「自由な時間」か「退屈な時間」か分類できれば、それぞれに対応した楽しみ方を見つけることもできるようになると思います。(学生時代なんかは「退屈な時間」に分類される時間が多かった気はします)
自由な時間を恐れるのはなぜ?
私は絵や音楽を作るのが好きで、散歩やゲームなどのその他娯楽なども合わせて、いくら時間があっても足りないという感覚で生きています。おそらく何かを作る人は同じような感覚を持つ人が多いのではないでしょうか。
一方、少なくない人々の中では自由な時間を恐れる感覚があり、それが暇つぶしという概念につながっているように思います。
なぜそういったシチュエーションで自由を恐れるのかと考えれば、おそらくは持続的な楽しみが少なく、先にやった分類のうち「退屈な時間」に相当するような状態が生じやすくなってしまうからではないでしょうか。
人生の残り時間は見えにくい
これは重要な部分で、自分の人生の残り時間が見えていたら、その「暇つぶし」や「時間つぶし」をするでしょうか、ということです。
例えば、行動回数が制限されたゲームをやっている時なんかで、何も行動せずに自分のターンを終了するなんてことが日常的にあるでしょうか?
暇つぶしってのは、そうやって自分の人生のターンをスキップするようなものだと思います。しかも、その「ターン」で消費するのは自分の命です。
そう考えれば「暇つぶし」や「時間つぶし」なんてものをやってる時間は無いことに気付くのではないでしょうか。
自分が楽しいと思えれば、それは暇な時間ではない
そもそも、実は自分が「暇つぶし」や「時間つぶし」だと思っていることは、暇つぶしではなく、楽しんでいる充実した時間かもしれません。
例えば、漫画を読んだり、ドラマを見たり、持続的ではないかもしれませんが、それを自分が見たいと思って見ているものならば、それはもはや自分が選んだ充実した時間です。
私の場合、その充実のハードルが非常に低いので、その辺の景色を見ているだけでも楽しめますし、究極は、頭の中だけで今書いている文章のようなことを考えるだけでもかなり楽しいです。(それ以前に、絵と音楽だけで2人分の人生は楽しめると思います)
他人が面白いと思うかどうかを気にするから複雑になるんです。自分がハードルを決めて、楽しいと思ったことを楽しいと思えば、至る所に楽しみが転がってると思えるものです。
パーマネントデスの人生を目一杯楽しむ
私はゲームが好きなので、ゲームでの概念が多くなってしまいますが、ゲームの中には、一回死んでしまうとステータスがリセットされてしまうパーマネントデス(恒久死)というシステムがあります。
そんなゲームをプレイしている時は、ゲームであってもかなり緊張します。(いいゲームはその緊張感が面白さにもつながります)
人生ってのはそれよりも一層シビアで、死んだらリセットすらなく、チリに分解されて地球や宇宙の構成要素に戻ってしまうだけです。
だったら自分が自分をコントロールできるという人生という期間、「暇つぶし」や「時間つぶし」なんて言ってないで、目一杯その時間をコントロールしてやるのが醍醐味じゃないでしょうか。

安心したころに失敗はやってくる

以前のトピックで幸福と不幸の陰と陽の関係について書いた。
そこで、幸福が不幸に侵食される瞬間に何が起きているか、少し考えてみた。
あくまで私の場合だが、大きなスパンで考えた場合、大体10年ごとくらいに大きな変化が起きていると感じる。
そしてそういった変化があるときは、まぬけな失敗をしがちだ。
そのような失敗をしたとき、ルーチン的に回っていた生活に、不幸・不安定という感覚が侵食してくる。
失敗が発生する前提条件
-
ほぼルーチンで回っていた時に外部環境もしくは自分自身が原因で意図しない変化が起きる
-
自分がルーチンに慣れすぎて行動に変化を付け出す(横着するなど)
前提条件の後で発生しがちな流れ
ルーチンから外れた行動を取った結果、やりなれない作業を行うことになる
↓
やりなれない作業に対する経験が不足しているため、失敗する可能性が高まる
↓
最終的に失敗する
↓
不幸・不安定を感じる
↓
再チャレンジする
↓
自信を持つ
↓
新しいルーチン的な処理を手に入れる
↓
幸福・安定した状態に戻る
こう考えてみると、幸福・安定と思えるときは、ある程度物事をルーチン的に処理できている状態の時のようだ。
何か予測できない事態や新しい事態が発生している時は失敗しがちで、不幸・不安定な状態につながりやすい。
(不安定な状態がむしろルーチンだという人も存在するので、安定・不安定の条件というのは人によって大きく異なるとは思う)
厄年などというのも実際は超自然的な原因などではなく、人間の人生の中で一般的に突発的な状況が発生しやすいタイミング、ということなのだろう。
そこでお祓いをするような人は、それほどにトラブルに気を付けているわけなので、失敗に遭遇する可能性も低くなる。
現代的な感覚ではこうやって論理的な方向で考えられるが、統計などが発達していなかった時代であれば、そのような現象を霊的な存在に結び付けるのも自然な考えだったと思う。
考えるほどにこの幸福のシステムは、そこに身を置いている限り常に不安定を呼ぶ地獄的なシステムだと感じる。
ただ、少し救いだと思えるのは、失敗をした後で再チャレンジをする気力があれば、再び幸福・安定のループに戻ってこられる可能性があり、なおかつ失敗しただけ新しい能力を得られる可能性もあるということだ。
(逆に言えば、再チャレンジしなければ不幸・不安定なまま、ということでもあるが……)
散歩ってやっぱり面白いんじゃないか

私は自由な時間があるときによく散歩する。
たまたまテレビでやっていた若いサッカー選手の特集で、その選手が「散歩をしている間はサッカーの事を忘れて落ち着くし、自分と向き合えるような気分になる」と語っていた。
その感覚は私もよくわかる。
そこをもう少し分解できそうな気がするので、簡単にトピックを残しておこうと思う。
散歩で得られていると思う事
得られることは人それぞれ違うと思うが、私の場合は散歩をしている時に以下のような感覚がある。
-
五感に伝わる絶え間ない変化がいい刺激になるだけでなく、それらが頭の中にある情報と結びついて整理や発想につながる
-
歩く時間が長くなるにつれて、頭で考える状態が薄れてある意味、無・瞑想的な状況になる
-
体の疲労と、脳の開放でだんだん心がリラックスしてくる
-
小さな発見や、自分が想像もしない変な発見が単に楽しい
これだけでなく、他にも色々と感じていることはあるはずだ、それらはまた詳細に分解する際にでもまとめようと思う。
ただ、割とはっきりしているのは「どうも心身が疲れているな」という時に散歩をすると、散歩中は一瞬それを忘れられるし、何度か繰り返すと根本的に疲れ(ダメージ?)が取れてくるような状態になる点だ。
これは短い距離でも得られていると思うが、30分~1時間ほど続けて歩いた方が効果が強い気はする。
スクリーンはいつでも見られる
このところは、屋外で歩きながらスマートフォンの小さなスクリーンを凝視している人をかなりの頻度で見かけるようになった。
そもそもそれが危険だというのもあるが、散歩の楽しさを知っている人間からすると非常にもったいないと感じる。
デジタル端末で入手できる情報など、もはやどこにいようが手に入るし、同じ光景を見ようと思えば誰でも同じものを見られる。むしろ今はそれが売りの技術になっている。
いつでも見られるとすれば、わざわざ屋外でかじりつくような必然性はそこにない。
(もしあるとすれば麻薬性なのだろうが…)
そのようなコンテンツに比べて、屋外環境からあふれ出す情報の塊の真っただ中に自分が存在するその真実性、自分の五感でしか体感できないリアルタイムのその一瞬一瞬。これほどのリッチコンテンツは無いだろうと思う。
だから私は屋外で小さなスクリーンに囚われることはない。
ただの移動と思うのではなく、鎖に縛られない自由な気分で歩いてみる。
そんな気分で散歩するのはやっぱり面白い。
